「いつでも」それを意識する

安全というものは、たったその日の決意だけでは達成されません。それを継続的に行うことによって初めて、それが見について、それが習慣化され、達成することができるようになります。

運転は普段から安全というものを意識して走行していないと、それが習慣化されずに、とっさの危険な事態が発生しても、すぐに対応できないことがあります。ですから私たちは、普段から安全と言う二文字を頭の片隅に貼り付けておき、とっさの事態にもすぐに対応することができるように、していたいものです。

同時に、私達の運転は、自分自身だけでなく、他人の安全も確保するようなものでありたいものです。私たちは自分本位の運転を行うのではなく、皆の安全を守れるような、そんな運転を心がけたいものです。

自動車が完全に私達の生活と一体化してから、多くの年月が経ちました。そしてまさに、生活に欠かせないものとしての地位を確立したのです。ですから、私たちはその生活必需品を、いつも上手に扱えるように、普段からメンテナンスを心がけたいものです。
また、車そのものだけでなく、自分の運転そのもののメンテナンスも、定期的に行います。そうすることによって、いつも安全な運転を行えるようにします。

安全は複合的な要素で達成される

交通法規を守ることには、いろいろなことが関係しています。
単に法定速度を守ることだけでなく、法定速度を守ったうえで、安全な運転を行わなければいけないのです。これは一見簡単なことのように思えますが、実際は簡単ではありません。

人間は、訓練しなければ同時に2つ以上のことを行うと、どちらかがおろそかになるか、どちらとも中途半端になってしまいます。運転を行う上では、それは命取りとなります。
どちらもきちんと、正確に行わなければ、私たちは正確に、しかも上手に運転を行っていることにはならないからです。

さて、運転に必要なことといえば、『認識』すること、『判断』すること、『回避』することである、と言えます。
私たちは自動車や歩行者の動作を『認識』し、それに応じて正しい『判断』を行います。それによって、重大な事故に関わる可能性、または事態そのものを『回避』します。これらを同時に行うことによって、安全が確保されます。
運転における『判断』の瞬間、いわゆる『猶予』は一瞬しかないことがあります。とのコンマ何秒かのうちに正しい判断ができなければ、重大な交通事故、それも、他人を巻き込んでしまうような交通事故を引き起こすことがあるのです。

運転に必要なこと

車の運転に必要な技術といえば、どのようにエンジンをかけ、どのように車を発信させ、赤信号のときは停車させ、どのように車を後進させるか、ということを知っている、または行うことができる、ということだけでは不十分です。
それらは単に『車の扱い方』を知っているだけであり、『車を上手に乗る』方法には直接的には、結びつきません。

私たちは、運転を行う人として、どのようにすれば、安全に車を、本来の意味で乗りこなすことができるか、ということを考えながら運転するということが求められています。私たちは免許証を取得した時点で、運転の『プロ』として、自覚を身につけ、それに見合った運転を行わなければなりません。

それにはもちろん、どのように車を乗りこなすか、ということだけでなく、どのくらいの安全性を確保するか、という点も含まれています。それは単に運転の仕方を『知っている』のではなく、本来の意味で、『安全な運転が行える』ということを、実践で示すものです。

そうすることによって私たちは、自分たちが運転免許証を取得したその時から、運転のプロとして行うべきことを行っていること、それを証明することができます。肩書だけない、本物の『免許証』を持った、運転手なのです。

交通事故と、法規を守ること

法律はなんのためにあるのでしょうか。それは私達の安全を守るためにあります。
単にそれらは私達を縛りつけるものではなく、大前提となっているのが私達の生活を安全なものとして、それを継続させることができるようにするものです。

もし法律がなければ、世の中は無法地帯になって、とても私達が安全に暮らせるような場所ではなくなっていることでしょう。私たちは心の何処かでそれを理解しているからこそ、自分たちに守り行うことのできる法令は、可能な限り守り行いたい、と思っています。
しかし、安全というものがそれだけのことで確保されるのであれば、私達の苦労は何もいりません。重要なのは、私達自信がどう行動するか、ということです。その法令を守らなかった事態における結果を考えて、悪い結果を招きかねない事柄をできるだけ避けようとするのです。
これは、私達自信が『生きる』ために必要なことである、と言えます。

生きるということに関して、それは車の運転になぞらえることができます。
車の運転を行う際は、私たちは、『交通法規』というものを遵守しながら、運転を行っています。その法令が私達を縛るためではなく、私達の安全を確保するためにあるものだ、ということを知っているからです。もしその法令を守らなければ、自分や他人の身に危険が及ぶ、ということを知っているからです。
では、どのようにして、私たちは『知っている』からこそ、交通事故回避の為に行動できるのでしょうか。何が求められていますか。